冬のある寒い日の二人のお話
「寒い~~~」
旅館のフロント裏にある事務室の扉が開き、入ってきたのは風宵だった。
えんじのジャケットの上からファーがついた黒いコートに身を包み、赤茶色のマフラーと耳あてまでしている背が高めの青年。
「さっきの団体様を駅まで送ってきたよ。あとね、雪が降り始めたよ!!」
彼はこの旅館で主にドアマンとして働いている。
僕は主にフロントと事務だから表にいなければ大体ここだ。
「ほー、そりゃ寒いな。お疲れ様。ハイエースの鍵返して~。」
「はいっ。…ね、随。あったまっていい?」
鍵を手渡した風宵が僕の前でしゃがみ込んで自然となった上目遣いで訊いてきた。
この部屋自体は暖房してるうえにストーブも焚いてるから十分暖かい空間になっている。
あったまって良いかという問いにちょっと含みを感じた僕はじとっとした目をしてしまったが了承の薄笑いを浮かべる。
その表情を見た彼は「良いのかな?良いよね??…いいっぽい!」というような顔をした。
「えへへー!随あったかいー!」
ぼふっと僕の懐に潜りこんできた。ぎゅっと抱きしめられる。
「ちょっと、僕着物なんだからね。しわ作らないでね。」
この部屋には今僕と風宵しかいない。
他の従業員は夕餉の準備で大忙しだ。
すごい人数の団体様だと僕や風宵も厨房や膳出しに駆り出される。
(ちなみにそのときは風宵も着物に着替えさせる。僕は着物姿の風宵がすごく気に入っている。)
「外すごく寒くて手がカチコチになっちゃった。こういう日は旅館側の温泉入りたいな。
随も一緒に入ろ。」
腹に顔をくっつけて喋られる。なんだか落ち着かなくてソワソワする。
「そうだな、君は風邪ひきやすいからな。すぐ入った方が良い。僕ももう終わりだし。
…っていうか君を待ってただけだからね。」
それを聞いた風宵ががばっと顔をこちらにあげて瞳をキラキラ輝かせる。
「随、大好き…っ!!」
***
ちょうど客も夕餉を食べ始めるところのはずなので温泉は誰もいない。
「えへへ、俺たちの住居部分のお風呂じゃ二人で入るには狭いからね!ふたりでゆっくりお風呂でくつろげるのって嬉しいな!」
ジャケットを脱いでいる彼の顔はにまにましている。幸せそうで何よりだ。
「狭くても二人で入りたいときは入るけどな。」
入りたいと思ったら僕から入っていく。風宵は狭いのに~と言いながらも一緒に洗ってくれる。
僕は風宵が髪を洗ってくれるのがすごく好きだ。
優しい手つきで僕のうねうねしたくせ毛を洗ってくれる。
風呂から出て眠気全開の僕の水気をタオル拭いてくれる。
だから風宵と入るのは好き。
「…ぁ。」
風宵は僕に色々してくれる。
でも僕はそれにお返しできていないな。
そうだ。
「今日は僕が風宵の風呂の世話をする。」
「…………………………えっ!?」
「まて、シャツ脱ぐな。僕が脱ぐところから洗い・水気を落とす・服を着せるとこまで世話をする。いつもしてもらってばかりだからたまにはやらせて。」
「え、そんな」
戸惑う風宵の手をつかんで服からどける。
「や ら せ ろ」
「はいっ」
問答無用でシャツのボタンをひとつひとつ取って剥ぐ。すると下にリブ生地の黒いタートルネック。
「風宵、バンザイだ、バンザイ。ほら。」
「っえぇ…」
まだなんだか恥じらっている彼の手を上にあげさせる。
「べつに風呂何回も一緒に入ってるんだから恥じることないだろう!」
「いや脱がされるとかなかったし!!?」
まだ肌をさらしてないのに風宵の顔が真っ赤だ。
タートルネックをぐいっと押し上げていく。が、身長が足りなくてすっぽ抜けない。
「……む…。風宵、そこの長椅子に座ってくれ。」
中途半端に服をあげられて腕もあげたままの風宵が座ると風宵の頭は僕の腹あたりになる。
すぽっと脱がせることができた。
風宵はいま上半身は裸だ。この脱衣所も暖房はつけてあるが少し肌寒いようだ。
「じゃあ次はズボンなわけだけど、これだと脱がしずらいような。膝を折り曲げた状態で横たわってくれないか。」
「……ッッッ!!!!」
あ、耳まで真っ赤だー。
可愛い反応するなぁとか思いながら横たわった風宵のズボンに手をかける。
「ひゃ」
下腹部に指があたったとき、彼の体がびくっとした。僕の指が思った以上冷たかったのかもしれない。
するするとズボンを下げていく。風宵はやっぱり足が長いし細いなぁ…っていうか相変わらず色白いな?って思いながら凝視しつつ下げてたらゆっくりな手つきになってたらしく、風宵が手で両目を覆っていた。
「……っうぅぅう!下げるなら!恥ずかしいから!早く…!早く脱がして!!」
「……。ん、わかったー。」
さっとズボンを脱がす。そして下着もさっと下す。
「わ、わわ、わーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!??」
両目を覆っていた両手は即座に下半身を隠し始めた。
「よし、脱がせられた!じゃあ僕も脱ぐから先にシャワーに行ってて。」
そういってその両手のとこめがけて手拭いを投げる。
手拭いを得た風宵はサササッと脱衣所の扉を開けて風呂場へ。
僕も着物を脱いでしわにならないように気を付けてたたんでおく。
手拭いをもって風宵の元へ行くと、ちょこんと座っていて、ちゃんと彼は洗われるのを待っててくれていたようだ。
「じゃ、髪を洗うね。人を洗ってあげたことがないから下手だろうけどご容赦ご容赦ー。」
後ろに立ってシャワーをかけて彼の髪を濡らし、手にリンスインシャンプーをおとす。
お湯も含ませて滑らかに掌に広げ彼の髪に絡めせる。
「…ふわ…」
「気持ちい?」
「うん…」
マッサージするように手を動かしてシャンプーを絡ませて泡立たせる。
よかった。気持ちいいようにできたようで。
そして無事背中も洗えたのでよかったのだが、僕としては丸洗いするつもりでいたので彼がどうしても背中以外は自分で洗うと言って訊かなかったので断念。
僕の押しの強さより勝る珍しい風宵の抗議だった。
僕自身も体を洗い終え、先に温泉に浸かっているはずの風宵の姿を探す。
室内の大浴場に浸かっていたと思ったのだが、見当たらない。
大きなガラス越しに露天風呂にいる風宵の影が見えた。
「風宵」
「星空が見えるんだよ。雪も降ってるのに。」
風宵の隣に行き、後ろの岩に頭を預け空を仰ぐ。
たしかに雪雲から覗く夜空に星が瞬いていた。
雪もまあまあ降っているのに見えるとは。
「こういう夜空みていると、同じ空の下に俺の父親もいるのかなって…思うんだ。」
「……そうだね、案外近くにいるかもね。」
湯気で包まれた露天風呂に雪が落ちて溶けていく。
「お母さん見てるみたい。夜空みてると。」
「犀川夜空さん…だっけ。」
「うん。綺麗で優しくて弱くて大好きで大切だったお母さん。」
そう呟く彼の横顔はきっとそのお母さんとよく似ているのだろうなと思った。
かくいう僕も母とはよく似たと思う。
記憶の断片越しに見た母親と比較してだけれど。
***
「ふわーーーーっ…癒されたね…ねっむ」
「随すっごい眠そうだけど大丈夫?」
脱衣所に戻った僕はめちゃくちゃ眠くなっていた。
いい加減この風呂入った後のすさまじい眠気がどうにかならないのか…。
学生時代のテスト期間なんかは夜はこれで勉強に手がつかなかった。
「いや、でもちゃんとやるよ、風宵のお世話。水気落とさなきゃ。」
「う、うん。」
あまり力の入っていない手で風宵をふかふかのバスタオルで拭いてあげる。
拭いてる最中に手が彼のお腹にあたってしまった。
「わ」
「あ、ごめ…、ん?うわ、すごいしっとりしてるー…」
風宵のお真っ白なお腹はしっとりふわふわで…すべすべだった。
思わず撫でる。
肌触り最高。
「…っや、ちょっ…、ひゃ…くすぐったい」
「ふわー気持ちいい~~」
「ふぁ、…あ、…随っ!」
頬ずりしてしまうしっとり感!
こっちの肌まで吸い付いてくるかのような、そんな触り心地がたまらなくてついつい風宵の肌を撫でまわしてしまう。
「ううぅ…!随っ、とりあえず下着履かさせて…!」
「んにゃ~、わかった。僕が履かせる。」
水気を一通り取った後、風宵の下着を足元から上げて履かせる。
最後のギリギリまで彼は手拭いで隠していた。
次は上の下着か。
このところ寒さが厳しくなってきたため風宵は暖かい素材でできたタートルネックをほぼ毎日のように着ている。
入る前に脱がしたリブ生地のものとよく似たものを、また椅子に座ってもらって着せる。
もっとしっとりを堪能していたかったけど、それはまた寝る前にでも布団に潜り込んで触っちゃおう。
なんならまた風宵の布団で寝ちゃおう。そりゃ狭いけど。
「で、次は…ってあれ」
「あ」
ルームウェアを忘れた。
風呂を上がった時もまだ客は大広間から動いていないだろうということで、旅館内もルームウェアでささっと僕たちの住居部分まで移動できると思ったのだ。
「今日は結構汚れてると思うから嫌なんだけどな…」
風宵は着ていたジャケットとズボンとシャツを眺める。
僕は忘れずに持ってきていた。
「……僕のルームウェアでよければ、着る?」
今はさすがに冬なので浴衣スタイルの物ではなく、温かみのある素材でできたもので、僕の足元まで覆うワンピーススタイルの物だ。
さすがに風宵が着たらふくらはぎあたりまでの丈になってしまうかもしれないが。
「それ、今日洗ったばかりだし。綺麗だから安心して。僕は僕で別に今日着てた着物そんなに汚れてないし。ずっとフロントいたから。」
「…じゃあ、そうさせてもらおうかな。」
ベージュ色をしたルームウェアをかぶせる。
丈はともかく、元々僕にはだぼだぼな大きめのものだったため、無事風宵に着せることができた。
まぁ彼自身は背が高めなだけで、身自体は細くて華奢な方だ。
「ん、ありがとう。……随の匂いする。…ふふっ」
「洗ったばっかなのに!洗剤のにおいじゃないの!?」
「もう滲みついてるんだよきっと。このにおいは随のもの。金木犀に似た香り。」
それじゃあまるで僕が一年中秋の香りをまとってるみたいじゃないか。
僕は今日着ていた着物を着る。
自室に戻ったら返してもらうなり違うのを着るなりしよう。
「よし、これでお世話の仕返し完了かな。なかなか楽しかった。」
「うー…俺はなんだか恥ずかしかった…。」
「君の裸を見ることなんて今が初めてでもないのにな。今さらだよ。」
「う…。」
「また、やろう。」
***
それから僕たちは風宵があの後作ったお得意のほろ柔らかく甘じょっぱい肉じゃががメインの夕飯を食べ終え、僕の実の父でありこの旅館のトップである定宗が帰ってくるのも待たずに風宵の自室にいた。
もちろん定宗の分の肉じゃがは用意してある。
あの人は懐かしい味だと言って喜んで食べるのだ。
僕は風宵の布団の中で本を読んでいる風宵に抱きついて頬を腹に擦り付けていた。
「よ、読みずらい……っ」
「気にしなくて良し」
「気にする!!」
彼がしているメガネが少し、僕が与えた揺れで傾いた。
風宵は本を読むときはメガネをしている。
眼はそこまで悪くないようだけれど少しだけ度の入ったメガネをかけると読みやすいようで。
長距離ドライブをするときも途中からしているときがある。
それは疲れて目がぼやけてきそうになるのを防ごうとしているらしい。
僕は全然運転はダメである。
「っはぁ…すべすべしっとり……。ねぇあっちの温泉の方が風宵にはあってるんじゃないか?こっちの風呂ではこうにはならなかった…」
「いやまあだれだって温泉入ればしっとりするでしょうよ!…随の方が常にすべすべお肌な気がするのだけど。」
本を読むのを断念した彼が布団を浮かせて、潜っていた僕を覗きみる。
僕は違うルームウェアに着替えたが、いまだに彼は僕のルームウェアに身を包んでいる。
僕としては、完全に忘れてるからもうその服あげるよって感じだ。
風宵の腹の上にのしかかり、胸元に頭をのせる。
「今日はこのしっとりを堪能してここでそのまま眠りたい。」
「えぇぇぇ…、もー…。いいけど触りっぱなしじゃないよね…?重いし。」
「ふふ。」
そのワンピーススタイルのルームウェアの端を足元から引き寄せて、下着のタートルネックの端ごと彼の鎖骨あたりまでたくし上げる。
「ちょ、えっ」
「ほーら、腹だけじゃなくてこんな平たい胸元だってしっとりしてるんだ。さっき、ふとももにも手が当たったけどしっとりしてたし。これはもう風宵全部しっとりだ!」
「寒いよ…」
くっついてる彼から肉じゃがのにおいと僕の布団で感じたことがある僕の香りがしてきた。
あれ、いつもの風宵の香りが薄いな、僕が嗅いで分捕っちゃったか。
布団も干したてだったから香りが薄まっていた。
彼の白い胸元が露わになった状態の上で僕はのしかかったまま再び眠気に襲われた。
寒さと恥じらいが混じった風宵の表情から、もっと意地悪とかして困らせたいなとか思ったけど体が深い眠りに誘われつつあるからダメだ。
動かない。動けない。
「随、まさかこのまま寝るとか…、えっ、ちょ、重い、重いよ!!待って!」
この後の記憶はおぼろげだが、当然彼の体の上からはずり落とされた。
そして朝まで二人で狭いベッドのなかで並んで寝た。
幸せだ。とても。
ずっとこんな日々が続けばいいのに。
二人寒い体を温め合って、ぬくもりに包まれながらいつまでも眠っていたい。
そして二人で幸せな夢を見るんだ。
そう、ずっと、10年後も。
こうであればいいのに。
▼あとがき
最後、あのまま眠る前に、風宵の傾いたままのメガネを随がのしかかってはずすシチュエーションを入れたかったけどだめだった。あの子はすぐ眠くなる。